“可視化”で進化する、日本の救急医療の真価
土谷
救急医療の現場では、搬送件数が年々増加する一方で慢性的な人手不足が続いており、カルテ入力やレジストリ登録といった事務作業に十分な人的・時間的リソースを割けないことが課題となっています。しかし、救急医療の質を客観的に評価し、改善につなげるためにはデータベースの構築が不可欠です。本来、こうした基盤整備は国が担うべき役割だと考えていますが、現状では十分に進んでいません。実際には、学会などが中心となってレジストリを構築しており、その登録作業にも多くの手間と人手を要するため、現場にとって大きな負担となっています。
園生
救急外来で多くの患者さんを診療しても、その成果がデータベースとして体系的に蓄積されていないため、診療を振り返ろうとしてもカルテを一つ一つ確認していくしかありません。
土谷
海外ではカルテ入力やレジストリ登録などにも十分なリソースが投入されており、データを継続的に蓄積・活用するための体制が整備されています。台湾ではナショナルデータベースが整備されており、全国民の診療情報を継続的に追跡・分析することが可能ですが、日本ではそれができません。
園生
米国の場合は、データ収集や分析を専門に担うスタッフが配置されるなど、医療データの「可視化」が進んでいます。実際に、米国のERを見学した際も、その徹底ぶりに驚きました。例えば、米国のERの患者平均滞在時間は約8時間と長いのですが、彼らは豊富なデータを持っていることを誇りにしています。一方、日本の患者平均滞在時間は約3時間と優れた実績を持ちながら、その成果を示すデータや論文が十分ではありません。土谷先生が取り組まれているドクターヘリのクオリティ・インディケーター(QI:医療の質指標)や、救急車搬送オペレーションなども世界最高水準にあり、その成果を示す指標データも優れているはずです。
土谷
日本の救急現場はどこも余裕のない人員体制で運営されており、医師がデータ入力まで担わなければならないのが実情です。データの蓄積がないから「可視化」ができず、それが発信力の弱さにもつながっています。日本の救急は世界的にもレベルが高いのに、すごくもったいないですよね。
園生
大学病院などのアカデミックな医療機関にとっては、救急の質を評価して改善につなげていくことや、研究も重要な使命です。そのためにも診療データを効率的に蓄積し、質を継続的に検証できる仕組みが必要です。
土谷
その実現には、医療DXの活用が欠かせません。DXによってデータ入力や登録業務を効率化することで、診療やベッドサイドケアにより多くの時間を充てられるようになります。また、蓄積されたデータをもとにクオリティ・インディケーターを整備することで、医療の質を継続的に評価・改善することが可能となり、さらなる質の向上につながります。
園生
さらに、救急外来は一般外来とは異なり、“予定外の連続”であることが特徴です。患者さんの到着時刻や重症度を事前に予測することは難しく、「ベッドや人員をどのように配置するか」「重症患者が続いた場合にどう対応するか」といった迅速な判断が常に求められます。そのため、チーム全員がリアルタイムで情報を共有し、共通の状況認識を持つことが重要となりますが、「紙やホワイトボード」などによる従来のアナログ運用では、情報共有に限界があります。
私がTXP Medical社を設立し、救急外来に特化したDXシステム【NEXT Stage ER】の開発に至った原点は、救急医として現場で感じ続けてきた、このような課題を解決したいという強い想いからでした。
土谷
私が【NEXT Stage ER】を知ったのは2018年頃で、特に印象的だったのは医療データの「表記揺れ」の解消に取り組んでいた点です。例えば、急性心筋梗塞は「心筋梗塞」「AMI」「前壁梗塞」など異なる名称で記録されるため、集計や分析に大きな手間がかかっていましたが、園生先生はこれらの表記を統一し、「正規表現」のように扱える仕組みを目指していたんですよね。
園生
そうです。現在ではAIによって「表記揺れ」の解消が高精度にできるようになりました。
土谷
レジストリは、正確な集計・分析ができて初めて価値を持つため、園生先生の取り組みは非常に本質的だと感じました。【NEXT Stage ER】を知った当初から、単なる情報共有ツールではなく、研究や医療の質向上まで見据えたデータ基盤として設計されている点に、大きな可能性を感じていました。
「現場知×DX」が切り拓く、救急医療の新たなかたち
土谷
私が東海大学医学部付属病院の高度救命救急センターに着任した2021年から、【NEXT Stage ER】の必要性を病院に働きかけ、2024年2月に導入しました。当院は年間約7,000件もの救急搬送を受け入れており、厚生労働省の「救命救急センター充実段階評価」で最高評価Sランクを取得する全国トップクラスの施設です。一方、着任当時は紙やホワイトボード中心の運用で、アナログな人海戦術に依存していました。また、大学病院として研究機能も担う以上、診療データがそのまま研究にも活用できる形で蓄積されることが理想です。
こうした環境の中で感じたのは、「情報の可視化とリアルタイム共有」「レジストリとしてのデータ蓄積」、そして「医療の質の向上のための分析」といった要素を一体化して実現する必要があるということでした。それを可能とするツールが【NEXT Stage ER】だったんです。
園生
「紙やホワイトボードによる運用」は、業界外の方から見ると時代遅れに見えるかもしれませんが、私はこれを“合理的紙オペレーション”と呼んでいます。電子カルテは会計処理など「来院患者を確実に記録する」ことを主目的に設計されているため、応需不可と判断をした患者さんの情報は電子カルテに残しにくい構造的課題があります。また、輸血などの処置も、紙であればその場でシールを貼るなど直感的に記録できますが、電子カルテの場合は後から手入力で打ち込む手間が発生します。このように、救急現場特有の業務フローと電子カルテの設計思想の間にギャップがあるため、現在でも「紙やホワイトボード運用」との併用が多く残っているんです。
土谷
そうした救急外来特有のオペレーションやデータ管理の実情は外部からは見えにくく、それらを十分に理解していなければ救急現場が本当に求めているシステム開発は難しいと思います。
園生
そうですね。例えば電子カルテのベッドマップは、算定漏れや事務負担の防止のため、診療報酬の算定基準と連動した設計が一般的です。しかし、救急現場では、空いているベッドで迅速に診療を開始し、状態が安定してから適切なベッドへ移動させるといった柔軟な対応が基本となりますが、診療報酬やベッド管理のルールが強く組み込まれていると、変更のたびに手続きが増え、救急のスピード感と合わなくなります。救急現場では患者配置を迅速、かつシンプルに変更できる仕組みが求められていますが、こうしたニーズは実際の現場を知らないと理解しにくい部分でもあります。
土谷
その意味で、【NEXT Stage ER】は救急現場を熟知する園生先生だからこそ実現できた、いわば“痒いところに手が届く”設計になっていると感じています。
救急医療を変革する“現場適応型DX”の実力
土谷
【NEXT Stage ER】は、導入時に各施設の運用にフィットするようカスタマイズし、現場と共に作り上げていくシステムです。導入後も定着支援の専任スタッフが現場に入っていただき、ダッシュボードの画面構成をベッド配置に合わせて変更するほか、プルダウン項目の調整、入力方法の整理、主訴欄の拡張といった細かな改善を約1年にわたって継続的に重ね、最適化してきました。
園生
弊社には現役の医師や看護師、臨床工学技士も在籍しており、医療現場のニーズを正確に把握し、システムへ反映できる体制を整えています。病院側とSEが直接、細かな仕様調整を行うことは容易ではありません。私自身も病院勤務時代にその難しさを実感していたため、医療現場の言葉を理解できる医師や看護師、臨床工学技士を橋渡し役として定着支援チームに加えています。
また、今後は開発にも生成AIを積極活用することで、救急患者ダッシュボードの構築や、救急マップの操作性の向上を実現、現場のニーズに応じたより最適な画面設計を行えるようにしています。
土谷
医療現場とSEの言語は異なるため、その間をつなぐ“翻訳者”がいなければ実装はうまくいきません。【NEXT Stage ER】はそうした体制に加え、高いカスタマイズ性を備えており、現場の細かなニーズにも柔軟に対応していただけました。
【NEXT Stage ER】の導入後は、ホワイトボード情報や電子カルテのデータが「一元化」して整理され、また、ホワイトボードや紙運用では難しい、時間軸に沿った情報の「可視化」も可能となるなど、必要な患者情報を迅速に把握できるようになりました。
園生
一般的な電子カルテのリスト画面では、患者名や生年月日が一覧で表示されます。一般外来では、患者名を見ることで「毎月通院している世間話が好きな高血圧治療中の患者さん」といった背景情報をある程度把握できますが、ほぼ全ての患者さんが初診患者となる救急外来ではそれができません。救急外来では「70代男性・背部痛・尿路結石疑い」といった“症候ベース”で患者さんを捉える必要がありますが、従来の電子カルテ表示では、救急診療で重要となるこうした情報管理に最適化されていませんでした。その点、【NEXT Stage ER】では、救急外来で必要となる情報を分かりやすく「可視化」できる設計になっています。
土谷
情報共有という面でも、大きな変化を実感しています。1階の救急外来だけでなく、2階のEICU(救急集中治療室)も含めて、「現在、救急外来にはどのような患者さんが来ているのか」「どの患者さんがEICUに入室する可能性があるのか」といった情報を、フロアをまたいでリアルタイムに把握できるようになりました。情報共有のタイムラグが解消され、看護師は事前にベッド調整やEICU受け入れ準備を進めるなど、“先回りして動く”ことが可能となっています。病棟全体の連携もより強まり、オペレーションの質そのものが大きく向上したと実感しています。
園生
研究面でいうと、救急領域は一刻を争う即応性と幅広い病態対応が求められる性質上、他領域と比較してデータの蓄積や研究の体系化が相対的に遅れていました。しかし、【NEXT Stage ER】を導入している大規模病院ネットワーク(約100施設、大学病院の救命救急センターで約50%のシェア)では、「このデータを使えばこうした研究ができるのではないか」といった具体的な動きが少しずつ生まれており、日本の救急医療研究を大きく前に進める可能性を感じています。
土谷
【NEXT Stage ER】によって救急領域における研究データの利活用を進めていくことに加え、業務のさらなる効率化など、働き方改革への活用もマネジャーとして非常に重要だと考えています。
DXがもたらす「教育・働き方・人材確保」の再構築
土谷
大学病院は“医師教育”も重要な使命であり、【NEXT Stage ER】は教育の観点からも有用なツールです。救急外来を初めて経験する研修医にとっても、情報が「型化」されているため確認すべき項目が明確になっています。「この項目を埋められるように診療してください」と伝えるだけで、必要な情報を体系的に収集する習慣を身につけることができ、診療の質を一定に保ちながら、教育効果の向上にもつながっています。
園生
専攻医の先生方は専門医資格取得のために手術・症例実績の管理も重要となります。多くの医局ではカルテを見返しながらExcelでデータベースを作成していますが、御院では、この管理を【NEXT Stage ER】と連携させたことで、診療データをそのまま医局の専門症例管理やデータベースとしても活用できるようにしています。
土谷
さらに、医学生の実習においても、【NEXT Stage ER】は有用な教育ツールとなっています。救急隊からの情報収集が「型化」されているため、「何を聞くべきか」が明確になっており、医学生であっても必要な情報を整理しながら聞き取ることができます。救急搬送の場面において、「どの項目を確認すべきか」「どの点を学ぶべきか」が分かるようになるなど、医学生教育の面でも大きな役割を果たしていると感じています。
園生
採用や人材確保の面でも、【NEXT Stage ER】の導入は大きな意味を持つと思っています。現在は、医局のブランドだけで医師が集まる時代ではなくなっています。現場の負担軽減につながるシステムが整備された“働きやすい”環境は、若手医師が研修先や勤務先を選ぶ際の重要な判断材料となっており、人材確保の観点からも大きな意味を持つと考えています。
AI活用の本質は“医療データの創出”にある
園生
私は救急におけるAIの診断支援にはあまり関心がありません。重症患者の病態はAIによって変わるものではありませんし、軽症であれば考える時間を確保でき、AIを補助的に活用しながら診療を進められるからです。
一方、AIは臨床と研究をつなぐ強力なツールになり得ると考えています。AIの最大の強みである“情報を抽出し、整理する能力”を活かし、カルテのフリーテキストから診断名やバイタルサインなどの情報を迅速に抽出してレジストリ化できれば、現場の負担なく自然とデータを蓄積することができ、救急領域における臨床と研究の円滑な両立が可能となります。
土谷
AI活用で期待しているのは、診療内容などの音声入力や状況に応じたガイドラインの自動提示ができるような仕組みです。ただ、重要なのは技術そのものではなく、それをいかに臨床現場の中で自然に使える形に落とし込んでいくかだと思います。
園生
現在は患者さんが初療室に運ばれてくると、処置と並行して看護師が処置内容などを記録しています。理想は、診療と同時に記録が時系列で自動作成される仕組みですよね。
土谷
そうですね。救急外来には安全管理のために監視カメラが設置されており、患者さんの状態や処置の過程も映像として記録されています。将来的には、この映像データに加えて、現場で交わされる会話などの音声情報も組み合わせることで、AIが自動的に診療記録を作成する仕組みが理想だと考えています。映像と音声の双方を活用することで、より正確な記録作成が可能になると期待しています。
園生
10年前の救急医も同じような理想像を描いていましたが、ここ2、3年でようやく、それが現実のものとして見えてきました。今後は、弊社のような企業がいち早くその可能性を形にし、救急現場で自然に活用される仕組みとして実装につなげていきたいと考えています。